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プロの簡単レシピ特集

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フレンチを語る

フレンチを語る

先輩たちの背中に学んだ、
料理の基礎と理想のシェフ像。

喫茶店で料理に目覚め、洗い場からスタート。

昔からもの作りに興味があり、中学から高校時代は、F1車のエンジニアになりたくて工業高校に通っていました。ところが、アルバイトをすることになった喫茶店で、昔ながらの洋食メニューのおいしさや、8時間かけて抽出する水出しコーヒーの豊かさを知りました。マスターにパフェを作ってみろと言われ、サクランボとクリームのパフェをお客さまに出したら、「何これ、おいしい!」と感激してくれて…。これが、料理に興味を持った最初のきっかけです。

また、小学生の頃に観たテレビドラマ『天皇の料理番』の影響もあります。料理の中でも、賓客をもてなす晩餐会などで世界共通で供される、フレンチへの憧れが募りました。「自分の手で何かを作りたい」という想いが、料理という方向にまっすぐに向かっていったのです。

高校を卒業し、その年の6月にオープン予定だった、「ホテルメトロポリタン」に就職して、洗い場に配属されました。開業準備中は、あらゆる種類の食器やグラスを洗ったり、拭いたりして、ものすごく忙しく、オープンを迎えても家に帰れない日々が続きました。本当は調理場で働きたいのに、自分は何をやっているんだろうと悶々とする日々でした。でも、徐々に自分の仕事を早めに終わらせ、その上で上司に「調理場を手伝ってもいいですか?」と自分から頼んで勉強させてもらえることに。そこで大きな発見がありました。シェフの動きや作業を見ていると、次にどんな器や皿を必要としているかを、理解することができたのです。それは数カ月の間、洗い場でいろいろな皿や器を触っていたから。目標を見失いかけていたけれど、洗い場での経験は無駄ではなかったと悟ったのです。

銀座レカン 高良康之シェフ画像

銀座レカン
高良康之 シェフ

「銀座レカン」総料理長。「ホテルメトロポリタン」の洗い場を皮切りに、本格的に料理の道へ。「コーヒーショップアイリス」で、「ホテルオークラ」出身の浅野シェフと出会い、1989年に渡仏。 二ツ星「パン・アデュール・エ・ファンタジー」での修業中に、オーナーシェフから多大な影響を受ける。帰国後、「ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トーキョー」副料理長、「南部亭」料理長、上野「ブラッスリーレカン」料理長を経て、「銀座レカン」総料理長に就任。

自分の頭で考えることで、料理の基礎が身につく。

その後、「ホテルオークラ」出身の浅野光一シェフが料理長をしていた「コーヒーショップ アイリス」で働くことになりました。浅野シェフは、「君は忙しい現場で、料理を体に叩き込んだほうがいい」と声をかけてくれたのです。浅野シェフは「何をやったらいいですか?」とか「何を用意したらいいですか?」と聞いても、何も教えてくれません。でも自分で考えて、材料を用意して、「どうやって切ったらいいですか?」と聞くと、すごく丁寧に教えてくれるのです。レシピはありませんでしたから、自分で食べて味を覚えて、フレンチの原書を何冊も読み、自分でレシピを書き起こしました。その経験は、浅野シェフの言葉通り、体に料理を叩き込む修業。レシピ通りの分量ではおいしい料理は作れません。自分の感覚で、自分の言葉で、自分の頭で覚えていくことがとても大切なんです。基本的なことが頭に入っていれば、あとは自分のやりたいことを、プラスしていけばいいわけですから、応用も利きます。本当の意味で、仕事がどんどん身についている体感がありました。

フランスに渡り学んだ、理想的なシェフ像。

浅野シェフの下で、フレンチのおもしろさにのめり込んでいった私は、フランスへ行きたいという想いが強くなり、働ける店を紹介してもらって渡仏しました。フランスで修業をするには、自分で店に手紙を書き、給料や勤務条件などを交渉し、働く場所を勝ち取らなければなりません。私もいくつもの店と交渉しました。全部合わせると40~50軒に手紙を書いたと思います。結果的に、約2年間フランスに滞在し、5軒のレストランで仕事をしました。

その中でも印象深いのは、ランド地方にある「パン・アデュール・エ・ファンタジー」。当時ミシュランガイドでは二ツ星、ゴー・ミヨでは20点満点中18点と、まさに人気が上り調子の時期だったので、店は活気にあふれていました。朝、調理場に入ると、ピリピリとしているけれども、すごく良い緊張感に包まれていて、仕事が始まるとスタッフ同士でバットひとつも奪い合いに。いつも満席の状態で、とても忙しく、懸命に素早く作業しないと、時間までに自分が担当する仕込みが終わらないほどなのです。

シェフはバイタリティにあふれ、ユーモアがあり、厳しいけれども、優しい人でした。スタッフとは家族のように接し、毎朝、調理場に入ってくると、笑いながら、若いスタッフの顔を軽く叩くんです。普通は握手なんですけどね(笑)。とにかく流れができていて、勢いがあるという感じでした。

ある日、私が肉のソースを作っていた時のこと。背中合わせに立っていたシェフに、鍋を差し出し確認を求めると、シェフは同じ姿勢のままスプーンですくって口に含みました。私は鍋を自分の前に戻し、返事を待っていた。そうしたら「OK!」と言って、自分の手元にある塩を少しつまんで、背中越しの私の鍋に向かってふりかけ、勢いよく「それで行こうぜ!」と。それは忙しい調理場で、スタッフのテンションを盛り上げるための、シェフならではのパフォーマンスでした。

シェフはオーダーが詰まってくると、独特のリズムで手拍子を取ることもありました。そうすると、調理場の空気が変わって、ものすごく忙しいんだけれど、良いペースができ上がってくるんです。私はこのシェフの下で、スタッフから信頼されるシェフ像とはどうあるべきか、というような精神性を学んだように思います。

ポール・ボキューズの人柄に惹かれ、リヨンへ。

帰国後は「ホテルメトロポリタン」時代の先輩に紹介してもらい、赤坂のアークヒルズにあった「ル・マエストロ・ポール・ボキューズ・トーキョー」の副料理長を務めることになりました。そこで、「ポール・ボキューズ」の料理を深く知ることになり、そのすごさを目の当たりにしたのです。その店では、毎年必ずフランス・リヨンの「ポール・ボキューズ」からシェフが来日して、フェアをやっていましたから、リヨンの雰囲気もよくわかりました。

当時からリヨンの「ポール・ボキューズ」はミシュランガイドで三ツ星でしたが、カメラで料理の写真を撮ってもOKだったのです。店の裏には畑があり、料理に使う野菜を育てることにも取り組んでいました。ポール・ボキューズ氏の本には、その畑で野菜を作っているスタッフや、店のドアマンも紹介されていて、スタッフを大切にする人柄にも興味を持ちました。それで、また自分からリヨンに行きたいと願い出て、ポール・ボキューズ氏の下で、1カ月ほど働く機会を得たのです。

ポール・ボキューズ氏は、とてもフランクな人で、会って早々に「ファミリーなんだからポールでいいよ」と。でも、周囲のスタッフも含め、皆ポールとは呼べず、「ムッシュ・ポール」と呼んでいました(笑)。市場に一緒に行くと、チーズ屋さんに行って、店主と一緒にカフェでコーヒーを飲んで談笑。その後は、肉屋さん、八百屋さん、魚屋さんなど、各店を回り、すべての店主とコーヒーを飲んでいました。市場の店先には、ムッシュ・ポールのポスターが張られ、皆が彼のファン。彼の周囲にいる人たちは、業種を超えて皆が本当の意味で、ファミリーなんだということを学びました。

自分一人で料理は作れない。
謙虚さを忘れないことが大事。

料理人はステージがあって、
初めて技術を発揮できる。

レストランはお客さまに来ていただかないと、何も提供できません。たとえシェフがどんなにすごい技術を持っていても、ステージがなければその腕前を発揮できないのです。だから、私は「場所を与えてもらっている」ということを、どんな時も忘れないように気をつけています。

さらに、肉、野菜、砂糖や塩をはじめ、ほとんどの材料は、自分では作れません。生産者さんや、それらを卸してくれる方、運んでくれる方など、たくさんの人の力があって、初めて料理を作ることができる。自分一人で作っているような感覚になることは、大きな間違いだと思います。

料理を作る人は、自分の立場をわきまえ、謙虚な姿勢を保つことがとても大切です。ただ、謙虚なまま閉じこもろうとは思っていません。ステージを与えていただけるなら、今まで蓄積してきた力や経験を、どうやって爆発させてやろうかという気持ちはあります。ステージでは、期待されている以上のパフォーマンスを発揮していきたいし、それができるように自分の技術も積み上げていきたいと思っています。

直伝レシピ

楽しいお話を聞かせてくださった高良シェフが、
惜しげもなく披露してくれたおすすめのレシピと作り方をご紹介します。

  • ガスパチョスープとズッキーニのムース
  • 彩り野菜とシュリンプのサラダ マルチカラー
  • ポークと夏野菜のロースト

フレンチ界の現在(いま)

料理や食に関連して、最近気になること、国内や海外の流行や業界事情などを、シェフの目線を通して、お伝えします。

伝統や日本の土壌を知る。原点回帰を経て、先に進む。

私が料理の修業をしている時代、フレンチは「ボルドー風」「ブルゴーニュ風」というような明確な定義がありました。メニューからどのような料理か想像できたし、勉強もしやすかったのです。現在は、それを習得してきた人が、自分の発想を加え、自己表現をしていく時代。だから今の若いスタッフは、私の頭の中をのぞかないと、私と同じ料理は作れません。昔よりも、積極的に知ろうとする努力が求められていると思います。

そして、料理業界はグローバル化しています。日本人シェフが、フランスで店を出し、ミシュランガイドで星を取る時代です。料理のジャンルも壁がなくなって、「自分流」を突き詰める方向になってきています。しかし、フレンチでも日本料理でも、ジャンルに限らず、まだまだ伝えていくことがあると、私は考えています。古典に戻るということではなく、「フレンチとは何か?」という定義を見直すことが必要なのです。現在のフレンチの料理やサービスは、19世紀頃に確立されました。大皿で提供されていたものが、ロシアの影響で、一人分ずつ仕上げられ、温かいものは温かいうちに食されるようになった。そういった背景があって、フレンチは生まれてきています。

フレンチに限らず、どんなジャンルでも、料理人がそれぞれの料理が持つ背景や歴史を知り、自分たちが培ってきた料理の技術の上に、新しい自分流を打ち出して先に進むべきなのです。それがわかっているから、日本で活躍している料理人たちは、日本という土壌に関心を持っていると、私は感じています。日本の地域ごとの食材、ワイン、器などを、料理に使わない手はありません。フランス人は昔からずっとそれをやってきました。自分たちの手元にあるものを見つめ直し、それぞれのジャンルの料理が持つ、伝統というフィルターを通して、これからの料理を考える。そういった意味での原点回帰が必要だと私は考えています。

どんなジャンルの料理も、背景や歴史を見直す必要がある。

  • 日本が誇る美しい和食器も、料理のジャンルにかかわらず自分の料理に上手に取り入れようとする気持ちが大切。
  • メニュー名:ジュレを纏ったズワイ蟹とキャビアのコンポジション
    料理が持つ背景や歴史を知った上で、自分らしい料理に仕立てていきます。(photo/L’écrin)

これが好き!My favorite items

貝印の調理道具の中から、シェフの愛用品をご紹介します。
使い心地や魅力、シェフおすすめのテクニックなど、プロならではの活用法をお伝えします。

tvs SOLIDAチタンコートフライパン

「SOLIDAチタンコートフライパン」は、底面が厚く、底に向かってすぼまっていて、熱が逃げにくく、食材に均一に熱が入るため、ポワレに向いています。

 加工されたフライパンは、軽くて、食材がくっつかなくて便利ですが、焼き色がつきにくいという問題があります。また、底が薄いフライパンは、温度の上がり下がりが激しく、少量の炒めものなどでは、急激に温度が上昇し、焦がしてしまう失敗も多くなります。「SOLIDAチタンコートフライパン」は、鉄のフライパンと同様に、底の厚みによって熱を蓄え、それが食材を乗せている面にも伝わりやすくなっているため、焼き色がしっかりつき、火の通りも良くなるのです。

 今回は「ビーフステーキ」のレシピをご紹介しましたが、チキンの場合もきれいな焼き色をつけることができます。鶏もも肉に下味をつけ、オリーブオイルをひいて皮面を下にして入れ、着火すればOK。鶏もも肉をプレスしながら焼き、6割くらい火が通ると肉のふちが白くなりますから、ひっくり返し、同じように裏面も焼きます。これで表面はパリッと、中はジューシーに仕上がるはずです。

tvs SOLIDAチタンコートフライパン

tvs SOLIDAチタンコートフライパン

アルミニウム合金の地金と3層のフッ素加工コーディングの間に、超硬チタンプラズマコーティングを施したフライパン。油をひかなくてもこびりつかず、きれいな焼き色がつきます。用途に合わせた使い分けに対応できるサイズ展開も魅力。

SOLIDAを使ってステーキを焼く!

材料と作り方は、プロのレシピ特集で!

銀座レカン

(現在改装中。2017年春、リニューアルオープン予定)
〒104-0061 東京都中央区銀座4-5-5
TEL: 03-3561-9706

ロテスリーレカン

〒104-0061 東京都中央区銀座5-11-1 1F(※店舗入口は『ミレニアム 三井ガーデンホテル 東京』とは異なります)
TEL: 03-5565-0770
※左の写真はすべて「ロテスリーレカン」外観(写真上)、内観(写真下)。

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